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いつか来る愛犬との別れの日。私が見た昼下がりの安楽死

物心ついた頃には犬と猫と一緒の生活でした。出店で買ってきたヒヨコがニワトリになったり、金魚すくいですくってきた金魚が巨大化したり…。常に我が家には動物がいました。その分、その動物たちの「死」についても、多く経験してきたはずだったのです。そんな自分が、初めて安楽死を目の当たりにした時。人間としても職業人としても未熟だった自分の、その時の想いを、正直に書いてみます。

動物病院でのアルバイト

今から20年以上前、私は専門学校の学生でした。勉強のために動物病院で、不定期にアルバイトをしていた時の話です。学校で勉強はしていても、実際に動物病院ではほとんど役に立たない自分でした。朝出勤して、入院患者のチェックをし、掃除、掃除、そしてまた掃除…。トリミングだけは学校の実習でたくさん経験があったので、戦力になったような気がしています。しかし、ネコのトリミングは初めての経験でした。慣れてくると診察のお手伝いをさせてもらえるようになり、飼い主さんとお話しする事も増えました。飼い主さんとの会話はとても貴重で、動物の状態を把握するのに重要な手掛かりになります。

助けられない命もある現実

ある朝、入院患者のチェックをしていると、ネコちゃんの点滴が外れてダラダラになっていました。眠そうな顔でじっとしているネコちゃんは、声を掛けても無反応。身体をなでた時、ガツンッ! と心臓を殴られたような衝撃を受けました。ネコちゃんはカチカチに死後硬直していたのです。わたしがそのネコちゃんに会ったのはその朝が初めてで、何の病気で入院していたのかも分からない状態でした。それでも、ついさっきまで当たり前に生きていると思って「おはよう、あら点滴外れちゃったねぇ、今直すからね」なんて話しかけていた子が、一瞬にして「死」のゾーンに行ってしまった。軽いパニックになりそうな気持ちを抑えながら処置をしていたら、急に「死」に向かう過程を考えてしまいました。

「どんな気持ちで死んでいったんだろう」「顔から想像すると、眠るようにって感じ」「一人で寂しくなかったかな」…。名前も知らないネコちゃんへの想いは、その日の午前中いっぱいは消えませんでした。後から聞いた話によると、死を待つだけの状態だったとの事。いろいろ聞きたい事もあったのですが、その頃の私には聞けませんでした。

小柄なおばあちゃんと小さなポメラニアン

それからあまり日の経たない夏の日に、あのおばあちゃんがやってきたのです。常連さんのようですが、私が会うのは初めてでした。見た感じでは、かなりのご高齢に見えました。小さなポメラニアンを抱いています。抱っこしたまま歩いていらしたようです。小柄で少し背中が丸くなったおばあちゃんは微笑んでいるように見えました。小さなポメラニアンは見ただけで老犬だと分かります。寝ているのかうなだれているのか、時々少し目を開き、目を閉じる。身体を動かす気配は全くありません。「先生、どうぞお願いいたします。」と深々と頭を下げると先生は「分かりました。決めたんですね。」と。感の良い人にはその会話でピンと来るのでしょうが、その当時の私には何のことら全く分からずにいたのです。陽の当たる明るい病院の一室を、おばあちゃんとワンちゃんの二人きりにするように言われ、私はトリミング室にこもりました。それでもまだ、私は気付きません。トリミング室の窓から、先生がワンちゃんに注射を打ったのが見えました。ワンちゃんの顔を愛おしそうに覗くおばあちゃんの視界に入らないように、お尻か後ろ足の辺りに打ったように見えました。どのくらいの時間が経ったでしょうか。夏の日が西に傾き、ブラインドから差す西日がおばあちゃんの顔を照らします。その間、ずっとおばあちゃんは微笑んでいます。「暖かな日差しの中で、愛犬を抱いて微笑んでいるおばあちゃんは幸せそうで、なんて絵になるんだろう!」鈍感な私は、本気でそう思っていたのです。

最後まで片時も離れずに

しばらくしておばあちゃんは顔をあげ、先生に目で合図をしました。先生が側により「いいですか?」と声を掛けワンちゃんに少し触れ、深々と頭を下げたのです。「ありがとうございました」と何度も頭を下げるおばあちゃんの目には涙が光っています。その時にやっと私の頭の中に「安楽死」という言葉が浮かんだのです。「どうされますか?」という先生の問いかけに「このまま抱いて帰ります。」と答えたおばあちゃん。最後に「安心しました。」と言って帰って行きました。来た時から帰る時まで、愛犬を胸に抱いたままだったおばあちゃん。始終微笑んでいた瞳の奥には、どんな思いを秘めていたのでしょうか。帰途につく後姿が今になって切なく思い出されます。それまで私は、「動物の命を救うお手伝いをしたい」という想いから、動物看護の仕事を目指しました。命は大切にしなければ、故意に命を絶つなんでとんでもない、という考えを持っていましたから、目の前で起きた「死」の場面には驚きを超えて思考回路が停止してしまったようでした。

すべては飼い主の胸の中に

「安楽死」については考えが様々で、答えの出る事はないでしょう。私はその後、幾度かの「安楽死」の場面に遭遇しましたが、同じ「死」などありません。楽になるのはペットなのか、人間なのか。両方なのか、または「安楽死」では「楽」は得られないのか…。
動物を飼ったら、必ずいつかやってくる別れの日。もし究極の決断を迫られた時に、大切な家族の「死」をどのように迎えるか、考えておく必要があるようです。飼い主さんの一番の悩みは、「愛犬が死を望むのかわからない」という事でしょう。それでも最終的な決断は、飼い主さんに求められるのです。懸命に生きて、死を迎えるまで、飼い主さんがすべて受け入れなければならないのですね。
私は今まで動物たちの「死」に立ち会った時、悲しみがいつもありました。辛い痛みから解放されて良かったという気持ちを持ったこともあります。それでも悲しみの方が勝っていました。別れは悲しいものである事は、間違いありません。
「死」に対して美しいなんて表現があるのか分かりませんが、あの夏の昼下がりの光景は、あの頃の私には穏やかで美しく感じたのです。